高齢者のがん治療について

2017年8月18日[カテゴリ:医療・福祉

■がんの早期発見・早期治療
まず、今回は私的なことを掲載することを
お許しいただきたいと思います。

facebookでは、
父が体調を崩したことを投稿しておりましたが、
平成29年8月9日に永眠致しました。81歳でした。

死因は大腸がんで、
がんが発覚してから、
結果的に、2か月間の闘病生活となりました。

今思えば、
症状は随分前から現れていました。
もっと早くに検査を受けるよう急かしていれば…。

仕事柄、
がんが死因の第1位であることを聞く機会が多かったにもかかわらず、
がん検診の重要性をいつも議場で聞かせてもらっていたのもかかわらず、
身内に考えが及んでいませんでした。
後悔は尽きません。

平均寿命の延伸と引き換えに
がん細胞との闘いが避けられないことは、
自然の摂理なのだと思います。
そして、
高齢になるにつれて、
「もう年だから、がんになったらその時は寿命だ」
と思う人が多いようです。
「高齢になるとがんの進行は遅くなる」
と思っていましたが、
大腸がんは進行が早いことも実感しました。

今後、がんについて、
もっと真剣に考えて行動しなければならないと
改めて感じています。

■がんとの闘い
手術前の検査では、
他の臓器への転移は認められなかったものの、
かなり進行しており、高齢ということもあって、
体力と術後の生活を考慮すると、
直接の摘出手術が困難と診断されました。

一度、
ストーマ(人工肛門)を造設して患部への負担を軽減したのち、
抗がん剤治療でがん細胞を小さくしてから、
患部を取り除くという説明を受けておりました。

がんの進行との闘いにはなるものの、
始めは、がんを摘出した後、数年は大丈夫だろうと
かなり希望を持てるような説明を受けていました。

しかし、
ストーマ造設のための入院が、
通常10日ほどで退院できるところが、
体力を大きく消耗してしまい、
微熱が続くなどして退院まで1か月もかかってしまいました。

そして、
何とか体力を回復して早く抗がん剤治療を受けられなければ、
年内にも命が危ないと聞かされました。

なんとか一度は退院し、
自宅で体力をつけるべく闘おうとしていましたが、
わずか10日余りで再び入院してしまいました。

入院後も、
どんどん容体が悪化し、
直腸膀胱瘻の症状も現れ、
1週間がヤマと言われ、
結果的には、抗がん剤治療を受けることなく、
力尽きました。
がんの恐ろしさを目の当たりにしました。

今思えば、
昨夏からまるで死期を感じているかのように、
長男である私に、
機会あるたびに父の死後の対応について話を聞かされていました。
高齢の母と病気の姉を残した時のことを心配していました。
そして、
私の議長就任とほぼ同時期にがんを宣告され、
父を励ましに実家に帰った際に、
私の就任報告に対して、
少し困ったというか寂しそうな表情をしたことを
今でも強烈に覚えています。

そして、
がん保険にも加入しており、
随分以前から、
もしものことがあった場合の書類の準備をしていることも、
父が入院してから知りました。
最期も、まるではかったように。
私の公務がほとんど入っていない時期に息を引き取りました。
回りの皆さんのご協力もいただき、
亡くなる前日も一晩病院で過ごすことができ、
感謝の言葉も言えましたし、
亡くなる直前に病院に到着することもできました。

そして、
3連休の間に、
ゆっくりと見送ることができました。

■最後に

父は、
会社員として家族のために50年以上働いてきました。
70代の10年間は、
自宅マンションの管理組合の理事長を務め、
マンションの住民のために管理費負担の低減に情熱を注いでいました。

退職後は、
健康のために毎日散歩を欠かさず、
常に運動をしていたので、
今回の退院後に、介護認定の申請はしたものの
結局認定がおりる前に亡くなったので、
寿命と健康寿命がほぼ同じということになります。

私は、まったく違う道を選びましたが、
このたび、さらに私は父から多くのことを学んだように思います。
私が大学に進学した時を境に、
これからは自分の意思で動くように言われ、
政治家を目指すと言っても反対することなく、
ずっと応援してくれていました。
その姿にもう会えないと思うと非常に寂しく悲しい限りですが、
これもまた、皆が通らなければならない道だと思います。
親としてありたい姿を最期まで見せてもらいました。

最後になりますが、
故人並びに喪主の意思を尊重し、
家族葬で見送らせていただきました。
生前お世話になりました方々に、
まずはこの場をお借りしまして、心から御礼申し上げます。

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