市長の退任について

2018年2月23日[カテゴリ:コラム

市長の退任については、多くの報道がありましたが、
19日から20日にかけての動きと私の思いも記しておきたいと思います。
いつものことながら長くなりますが、ご容赦ください。

■2月19日(月)
朝9時前、「午後に退任届を提出する」と市の幹部より電話がありました。
私の午前中のスケジュールは、
9時15分~9時50分、西宮市の友好都市・高知県梼原町の方々の表敬訪問
10時~12時、議会運営の課題に関する検討会議
と埋まっていましたので、
公務に入る前に議会事務局長に退任届のことを伝え、
準備を進めてもらいました。

午後は、
13時半から開催の「丹波少年自然の家事務組合議会定例会」に出席するため、
13時過ぎには西宮神社会館へと向かいました。
そして、
14時半前に議会に戻り、退任届が届いているとの報告を受け、
副議長も立会いのもと退任届の入った封筒の封を切り内容を確認しました。
この封筒自体は、
14時10分頃に市長室の職員より受け取ったとのことでした。

この退任届の確認をしている間に、
多くの報道関係者が私への取材を目的に
議長室前の廊下に集まっているとの報告がありました。
しかし、
まずは議員への報告が先です。
全議員への連絡が終わるまで待っていただきました。
通常の取材は、
個別に極力受けるようにはしているのですが、
今回はあまりにも人数が多かったので、
15時15分からと時間を決めて
別室でまとめて取材を受けることにしました。
30分程度だったと思います。

退任届を受け取ったばかりで、
こちらからは報道関係には何も連絡していなかったのですが、
テレビもお越しで、情報伝達の早さを実感しました。

ちなみに。
現在、西宮市議会では、
広報機能の強化の一環として、
議会としての市政報告会を開く代わりに
定例議会終了後に記者会見を開いています。
市議会では、マスコミを通じて、
議会での議論や市政の現状をお伝えすることも重視しています。

ただ、通常時に記者会見会場にお越し頂けるのは、
地元の新聞記者3~4名くらいなのですが。。。

話を戻しまして、
その後、市から政策の事前説明を2件受け、
17時半より、
翌日の議会運営委員会の進行に関する打ち合わせを
副議長、議会運営委員会正副委員長、事務局長以下職員と共に行いました。
打ち合わせの終了は19時半でした。

■2月20日(火)

9時前に市の幹部が議長室にお越しになり、
市長が体調不良により議会運営委員会及び本会議に欠席する旨の報告を受けました。
議会事務局から全議員にそのことを伝えるよう連絡し、
9時半からの議会運営委員会で改めて退任届が提出された旨を報告しました。
10時に本会議を開会し、副市長と私からの開会挨拶の後に、
この3月議会の会期を決めてからすぐに休憩することを確認しました。

休憩中に開催した議会運営委員会において、
これまで議会運営委員会で対応を議論し準備をしてきた
糾弾する決議案及び市長の退職金減額条例、
そして、市長の退任の件の取り扱いについて協議をしました。

11時過ぎに再開した本会議において
市長欠席のもと、市長の退任は同意されました。

他にも、議論、協議しなければならない案件がありましたので、
最終の議会運営委員会が終了したのは、13時半を過ぎていたかと思います。
その後に、取材を求められましたので、再びマスコミの質問を受けました。

まとめると
議会運営委員会⇒本会議⇒議会運営委員会⇒本会議⇒総務常任委員会⇒議会運営委員会⇒本会議
昼休憩⇒議会運営委員会
という流れでした。

また、
2日間、取材を受け、
退任届が出された理由や市長の姿勢に対する意見・コメントなど色々聞かれましたが
やり取りについては、はっきりとは覚えていません。
急に聞かれて答えきれなかったこともあります。
事実以外のことを推測で答えないようにするよう気を付け、
できるだけ率直にお答えしようと必死でした。

以上が、2日間の動きです。

■市長の言動について

1月4日の市長の暴言から約1か月半、
色々と判断を要することも多く、対応に多くの時間を割きました。

この間、所属する会派の幹事長、
副議長と議会運営委員会の正副委員長、
議会事務局長をはじめとする事務局職員の皆さんには特に、
いろいろと助言を頂き、支えて頂きました。
また、多くの方にご理解、ご協力を頂き、感謝しています。
そして、多くのことを勉強する機会となりました。

以前のコラム(新年ー仕事始め式)に掲載しましたが、
市長は、次の選挙に出ないことを市職員の幹部が集まる仕事始め式で表明しました。
市長は選挙で選ばれて初めて仕事ができるわけですから、会社の社長とは違います。
引退の表明は、市民を代表して意思決定する場である議会において述べるべきであった

と祝辞の中で述べました。
皮肉にも、
この苦言を呈した式直後の記者に対する暴言がきっかけとなり、
結果として任期前の退任となりました。

私は、
議会運営委員会での決議と条例に関する議論が固まりつつある時期に、
非公式で市長と話をする機会をもらいました。
ご自身の口から明確な辞意は聞きませんでしたが、
今の議会に対するご自身の考えや
任期までに残された仕事のことについて聞かせてもらいました。
ブログに綴られていた内容とほぼ同じです。
市民の代表として果たすべき役割を果たそうとする市議会と
市長の正当性に関する主張を鑑みると、
議論がかみ合うことがないことは明白でした。

任期を待たずに途中で辞職することは、
様々な方面に影響を及ぼします。
任期途中で辞職されるのであれば、
市民を代表して意思決定する場である議会においてその理由を明確に述べるべきでした。
そして、最後となる本会議の場で、
せめて、今回の騒動についてと、
途中で辞任することによって及ぼす影響に対して、
自身の考えを述べ、退任の同意を願うべきでした。

容認はできませんが、
別の見方をすれば、
ご自身のこれまでの情報発信の姿勢は貫いたのかもしれません。
しかし、
最後の最後で闘う政治姿勢を貫けなかったわけですし、
最後まで「議長声明」で発したメッセージを理解いただけなかったのは、
やはり「残念」の一言に尽きます。

■今村市長のブログから思うこと

私は、あまり人のブログを読みません。
だからというわけではないですが、
自分のブログも更新頻度が高いとは言えません。
しかし、今回はさすがに読みました。
そのブログには、
西宮市議会とマスコミに対する批判、
ご自身がお世話になった職員や地域の方々、
支援者の皆様への感謝の思いが綴られていました。

その中で、
議長には迷惑をかけたと感謝の意が綴られていましたが、
私自身が、今回の件で、
今村さんに何か感謝してもらうようなことをしたとは思っていません。
私はただ、議会を代表する議長を務める中で、
市民生活に大きな影響を及ぼす予算案等重要議案を審議する3月議会を円滑に進め、
政策について、公正かつ厳正に議論されることだけを考えて
果たすべき役割を果たそうと必死だっただけです。

また、
ブログの中では、
私のことを「西宮市議会のなかで唯一友人と呼べる政治家」と綴られていました。
私自身は、今村さんが市議時代に、約11年間同じ会派に所属して活動し、
1期後輩としてかわいがっていただき、色々と勉強させていただきました。
お世話になったことを今でも感謝しています。

しかし、
今村さんが市長選挙への立候補を本格的に考えた頃に、
ゆっくりお話をさせてもらったことがあったのですが、
腕の入れ墨のことなど、
当時のままでは、行政の長として支持できないと、
余計なお世話だったかもしれませんが、
ご本人に指摘したことがありました。

その後、入れ墨は消されたそうですが、
私は自民党に入党し、
当時の今村さんを支持しようとしていた所属会派も退会し、
市長選挙において今村さんを支持することはなく、
有権者からも何故?とよく問われました。
特に、アサヒビールの跡地については
市が購入して既存の公共施設の建替えと共に公共施設を集積させ、
市が主導してまちづくりを進めるべきだったと今でも思っています。

また、ちょうど4年前、
当時の私の対応に対して、
批判のメールを頂いた方には、
こう返答しました。

「単に市長になりたいからということで、アサヒビール跡地と病院問題だけを争点にして相手を批判にさらして市民を動かすというやり方は、最近の例でいうと、民主党が政権交代を掲げた時と同じ手法と言わざるを得ません。」
「4年前に応援した人が公約を実現しようと懸命に取り組んでいるなかで、仮に現市長が間違った政策を遂行しようとしているとお感じなのであれば、応援した議員の責任として、方向修正を促すことに注力するべきではないのでしょうか。」
と、今村さんの活動を評しました。

20日の取材で、記者から、
「政界を引退して、新しい活躍の場を探すと仰っている市長に対してどのような言葉をかけたいですか?」
といった趣旨の質問をされたと思います。

正直、考えていなかったので、
とっさに出た答えは
「約20年間、市政の発展に尽力されたことに対して敬意を表するとともに
お疲れさまでしたと伝えたいと思います。実際には、直接ご本人にお伝えすることはできませんが。」
と言った趣旨のことを答えたと記憶しています。
記者の皆さんが欲しかったコメントではなかったのだと思います。。。

また、あとから思えば、
「こんな逃げるような辞め方をしたら、
次のステージは厳しいものになるのではないか。
誰も相手してくれないのではないかと心配しています。」
といった趣旨のコメントが欲しかったのかもしれません。
だとすれば、そのようなことを答えるわけがありません。
そもそも将来のことに取材で言及するのは、大きなお世話だと思いますし、
今村さんのことを評価している方もたくさんいらっしゃるでしょうし、
活躍の場が海外にあるのかもしれないですし、
将来のことなど、誰にも分からないわけですから。

「今後の一層のご活躍を祈念申し上げます。」
くらいのコメントがさっと出ないところが、私の未熟なところだと思います。

■市議会の機能と信頼

今村さんは、
市議として約15年間活動されましたが、
西宮市議会に様々な改革をもたらす火付け役の1人であったことは事実です。

例えば、
今は、市内至るところで、私も含めて複数の議員が
政策チラシを選挙前だけではなく議会が終わるたびに作って配っていますが、
20年前にそのような活動をしている市議会議員は共産党くらいだったと思います。
保守系の議員が
選挙前以外に、または、自分の後援会向け以外に
活動報告や政策チラシを作ってまちなかや駅前で配り、
市政の現状を伝えるという政治が広がったきっかけは、
19年前に始めた活動であり、当時の西宮では画期的なことでした。
私は当時まだ23歳で、
当時のその活動に加わっていた議員の事務所のスタッフとして
手伝いをしておりましたので、その時の市民の期待や批判もよく覚えています。
そのチラシを見て、
肯定的であれ否定的であれ、
自分も議員になって活動しようと思った議員も
少なからずいらっしゃると思っています。

議会の中においても、
議会改革特別委員会を設置して、
徹底的に改革を議論する環境ができたのは10年前のことでした。
その結果、今の西宮市議会は、
10年前とは、議論する環境は大きく変わり、
機能も向上しました。

そうした市議会改革に携わってきて、
市長という立場になったらその市議会を批判する。
まさに、
機能を向上しようと努力し続けている市議会が
現職の市長から批判されるということは、
二元代表制の一翼を担う市議会として、
果たすべき役割を果たそうとしている健全な状態と評価されていると受け止めていいと思っています。

そして私は、
地方議会の改革は、まだまだやるべきこと、できることがあると思っていますので、
これからも選挙で支持いただける限り、頑張っていきたいと改めて思っています。

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